森高千里、ライブ中ハプニング/お宝動画
今や、江口洋介夫人の千里ちゃん
懐かしい映像をご覧ください。
ライブ中にハプニングです。
◆森高千里
1986年、大塚製薬・ポカリスエットのCMのヒロインのオーディションに合格、芸能界デビュー。このポカリスエットのCMでは糸井重里と共演し、話題となった。
デビュー曲『NEW SEASON』は、東宝映画『あいつに恋して』の主題歌。パーカッションを叩きながら歌うというスタイルは当時ヒットしていた「プリンス」ファミリーのシーラ・E(SHEILA E.)を真似たものと思われた。歌手デビュー直後はTVのバラエティ番組で着ぐるみをかぶったり、作詞家の作った歌と自分の性格が合わなかったり等、芸能活動に疑問を感じたという事だが、初めてのライブで音楽の楽しさを知って以降は音楽活動に専念。
初めての作詞は、セカンドアルバム『ミーハー』に収録されたタイトル曲『ミーハー』。以後、ほとんど全ての曲の作詞を手がけるようになる。 そうした中、シングル『17才』(南沙織のヒット曲のカバー)が大ヒット。ミニスカートから、森高の代名詞ともいうべき美脚を披露し、総スパンコールでヴィヴィドな衣装と振付で世の男をノックアウトした。そして当時の若者や中年の間では“森高の足を舐めたい”症候群的なものが蔓延し社会現象となった。 曲のイメージとはまったく関連性のない浮世離れしたこの衣装は、今や定着した感のあるコスプレの第1号とも言える。一方、作詞の面でも注目されはじめ、その独特な詞の世界と相まって、森高ブランドの確立に成功する。
芸能活動を開始し、堀越高校に転校する前は九州女学院高等学校に在籍していた。当時組んでいたバンドではドラム担当だった。そのためか歌は本来得意ではなかったらしい。
なお「森高千里」は結婚する前の本名だが、阿蘇山を周遊する観光バスのバスガイドが「『森高』は両親の出身地である『高森町』、『千里』は『草千里』から取った芸名だ」と紹介したため、一部のファンの間で芸名説が広まった。それに対し本人はラジオや著書で何度も否定している。
また「森高フィギュア」なるものも登場し、コアな男性ファン(いわゆるオタク青年)も獲得する。この頃は宅八郎が森高フィギュアを握り締めてテレビに映るなど、一種の社会現象にまでなった。
また、ビジュアル面での営業戦略として、当時としては斬新なプロモーションビデオを販売することによる展開もしていた。特に、当時所属していたレコード会社が当時パイオニアの資本が入っていたワーナー・パイオニアだったこともあり、秋葉原電気街ではレーザーディスク本体の店頭デモンストレーションのほとんどが『臭いものにはフタをしろ!!』一色と呼べるほどになってしまった時期もある。毎年実施されていたコンサートやプロモーションビデオのほとんどがレーザーディスクと VHS で販売され、後日、DVDにて再販された。
台湾など、東南アジアでもアルバムが発売され(ほとんどは海賊盤)、森高の楽曲をカバーするシンガーもいた。1989年に「ミーハー」をシンガポール出身の安可立という女性アイドルがカバーしたが、この楽曲を収録したアルバムのライナーノーツには「非実力派宣言」と大きく書いてあった(中国語圏では、アイドルを「偶像派」、シンガーソングライターなどを「実力派」と呼んで区別している)。
『私がオバさんになっても』(1992年、派手なドレスが話題に。ちなみにこの曲はアルバム「ROCK ALIVE」からのシングルカットである)あたりからは女性ファンの数も増え、コンサート会場で同じ衣装を作ってコスプレする女性客の姿も見られるようになった。 女性ソロアーティストとしては初めての全都道府県ツアーを1992年と1993年に行なったが、1994年は顎関節症の為に予定されていた全国ツアーをキャンセル。2年間のコンサート休業を余儀なくされた。
レコード大賞、歌謡大賞などの賞レースには縁の薄かった森高であるが、1992年に「今度私どこか連れていって下さいよ」(作詞:森高千里)のカバーで事務所の後輩加藤紀子が第34回日本レコード大賞新人賞を獲得している。
紅白歌合戦には1992年「私がオバさんになっても」で初出場、以降「私の夏」「素敵な誕生日」「二人は恋人」「ララ サンシャイン」「SWEET CANDY」と6回連続出場する。なお、もともとタイアップ曲の多い森高であったが、紅白で歌った楽曲の全てがCF、民放番組主題歌等のタイアップであった。
一般メディアではビジュアル面が取り上げられる事が多いが、ミュージシャンとしての音楽的才能の評価は高い。アルバム『ペパーランド』(高校時代よく利用したライブハウスの名前)からは各種楽器にも挑戦し(ステージではギター、キーボード、ドラム、リコーダー等披露)、他のミュージシャン作品にドラマーとして参加するなどしている(CFで夫婦役を演じた細野晴臣とのリズムセクションは定評あり。ちなみに、現実の夫・江口洋介との共演音源は現時点ではない)。作詞では、初期の頃は打ち込みサウンドに乗せた「怒りソング」など「とんがった」歌が多かったが、1990年代後半になるとエッセイ風の歌詞が多くなってきた。
1995年8月に泉谷しげるが呼びかけた阪神・淡路大震災救済イベントでの共演が縁となり、歌手でもある俳優江口洋介と交際、1999年にできちゃった結婚。2000年、2003年に出産し、現在は1男1女の母である。
結婚後、芸能活動はほぼ休止していたが、2004年より徐々にCM出演などで活動を再開している。
なお、2005年末の事務所忘年会で「子供もそろそろ手がかからなくなりましたので、また活動を復活したい。よろしくお願いします」とスピーチしたとのこと。 デーブ・スペクターはかつて「彼女がアイドルを茶化した事でアイドル時代が完全に終焉した」と書いたが、その森高の事務所の後輩がモーニング娘。なのはなんとも皮肉な事である。

